日曜日, 11月 20, 2005

大きな楡の木の下は?-そのひとの価値を評価する

どこにあるのだろう?、と思う。
MilchStraβe軒しのぶのPloeStarSⅠ収録。「大きな楡の木の下で」の楡の木。

「民主主義の【英雄】である彼の夫人のことよ。その人は高官の娘で彼の副官を務めていたの。ところがお父さんが政府に対してクーデターを起こして、鎮圧されて、結局、反逆者の娘、ということになってしまったのよ。」
「それでもね、彼は彼女を解任しなかった。後にそのこと糾弾されたとき、彼はこういったそうよ。『それでは、わが自由の国では、古代の専制国家みたいに、親の罪が子におよぶというわけですか。』」
「その話でわたしは、彼と、彼のいう自由の国のことが知りたくなったの。」

きょう、高校の親友の結婚の報告を聞いた。
その友人は、私と同じく、家族に障害者がいる友人で、「結婚に際して、家族に障害者がいるということを考えなかったか」という話になった。
奇しくも、その場にいた4人中、3人が障害者の家族をもっていたのだけれど。
こたえは、それぞれ、違っていて、その1人のほうが、楽天的に考えていたようなのだけれど。
……こういう場合、むしろ、事実の重さを負っていない人のほうが、未来を切り開けるのかもしれない。と思った。話。
でも、女性問題もそうだけど、そういう、「忌避することに根拠がないわけではない話」というのは、ムズカシイ。確かに、出産と育児という、巨大な事業に取り組むことになった女性が、それまで労使ともに築いてきた能力を、一方的に破談にするという側面があるのは事実だし。また、私に、リウマチの因子と消化器癌の高リスク因子があるのも、事実。でも、リスクにばかり目を向けて、リターンとの見合いで意思決定は必要だよね!! そして、かつ、市民なら、合成の誤謬(ごびゅう)にも目を向けて欲しい。

もうひとつ、思ったことがあったのは、10月に沖縄に行ったとき、投宿先のテレビで聞いた、健保組合横領犯の家族の「もう街も歩けない」というコメント。

まだまだ、日本は、「自由の国」ではないんだなぁ。と。市民社会は遠いなぁ。と。
そう思った日。

「彼は思っている。人の価値なんてものは、その人間がやった行動で決まるものだ。彼女は彼が知る限り、人として品位を知らない行動を取った事は一度もないし、むしろ、百万回感謝してもし足りないような見事な振る舞いばかりしてくれた。」  --見たことのない自分の顔 後編。 杉浦明日美「空飛ぶ岩石の創作畑」