靖国考
個人的には、まず、朝鮮併合の日に朝鮮でハングルで謝罪し、南京の日に南京で中国語で謝罪し、
その後に靖国に参拝し、太平洋戦争で亡くなった方へ平和への決意を述べるべきだと思って「いました」。
過去形なのは、「【宋文洲の傍目八目】中国人が靖国神社に行きました」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20060704/105680/
を読んで、靖国が純粋な戦没者を祀る組織とはいえないと感じたからです。
しかし、確かに靖国に当時の日本の行為を正当化する戦争博物館が併設されているにせよ、
戦没者と考えると反射的に靖国と考える思考は、日本人として一般的なものなのではないかと思います。
故に、靖国に参拝し、戦没者の方へ平和への決意を述べるという行為には意味があるものと思います。
仮に、私が総理だとして、靖国に参拝するとしたら、次のような演説をぶつでしょう。
「先の大戦で亡くなられたすべての人々に、哀悼の意をささげ、平和への誓いを新たにしたいと思います。
その一環として、靖国に祀られている戦没者の方に、日本国の総理として当時の政府になり代わりお詫びを申し上げます。
ただし、あなたがた戦没者の方の多くは、提灯行列などで戦争を是としていた方も多いでしょう。
現在に比べれははるかに不完全な選挙権とはいえ、積極的に選挙権を行使して戦争を回避しようと
行動された方はごく少数であると認識しております。
歴史に「もし」はありませんが、もし、あなたがたが異なった行動をなさっていたら、
あの悲惨な戦争が回避できたかもしれないと考えると、平和を希求する、健全な市民社会の実現が
われわれ後世の日本人に課せられた使命であるといえるでしょう。
ここに、私は、日本国の総理として、戦没者の皆様に、お詫びし、一方、その無為の罪を糾弾し、
かつ、後世の人間として、悲惨な歴史を教訓とし、二度とあのような惨禍を引き起こさないため、
健全な市民社会の実現に向けて更なる努力をすることを宣言します。」
繰り返しになりますが、朝鮮併合の日に朝鮮でハングルで謝罪し、南京の日に南京で中国語で謝罪した後のことですよ。
まず、被害者の救済。その後、加害者でもある被害者への謝罪。それがスジってもんです。
一方、そうした筋を通した上ででも、中韓は靖国参拝へ非難を寄せるでしょう。
ことこれに関しては国債を増発してでも、戦後補償の大盤振る舞いで、非難される余地を断ち切る、というのが戦略的に望ましいのではないかと踏んでいます。(打算的にいえば、戦後60年も経ち、補償対象者もだいぶ亡くなられて少なくなっているはずですので。)
他方で、個人的に、太平洋戦域に関しては、アメリカに辛い評価をしています。
メキシコ戦争での「アラモ砦を忘れるな」
米西戦争での「なんとか号(名前を失念しました。軍艦の名です。)を忘れるな」
太平洋戦争での「リメンバー・パールハーバー」
ベトナム戦争での「トンキン湾を忘れるな(に、なりかけたこと。)」
4回も続くと、何らかの意思を疑うべきでしょう。
もっとも、国際政治的には、それは、非難されるにはあたらないとも思っています。
先に手を出したほうが悪いのです。
「手を出させられた」のであったとしても、それに引っかかった無能さが罪なのです。
そういった観点から、歴史というものを観る力を養っていかなければならないのではないのかな、と思っています。私見ですが。