ナマケモノの罪-レッテルを貼るという行為
今週のDEATH NOTE。
私は結構、活字は何でも読むほうで、漫画雑誌もそのぶんに洩れないのですが、週刊ジャンプ連載のDEATH NOTE、ついにキましたね。「無為の罪」。それをなすべきものが、それをなさないのは罪である。私の精神的な基調と親近感のある考え方です。まぁ、魅上さんのように殺してしまうのはやりすぎだとは思いますけれど。
さて、ちょっと、2万kmばかり先には、食べ物が無い人がいます。我々の倉庫には、古米が眠っていますし、稲作のノウハウも、資金もあります。2千kmのところには、選挙権がなく、自らの意思を皆のために使うすべを持たない人がいます。ちなみに投票率は、郵政解散以前は6割程度。
まぁ、この話はやめましょう。もっと楽しんで貢献できる道を探すのがよさそうです。アレしろ!コレやれ!ではやる気もなくなりますもんね。
ともあれ、そんな、無為の罪ですが、そんな中でも、割とみんながやっていて、なおかつ、結構、影響が大きいのが、「レッテル貼り」という思考です。
ムツカシイことを自分で判断するのは大変なので、声の大きい人が「こうだ!!」と喚くと、「そうかもしれない、、、いや。そうだ!」……な~んて、思ったことはありませんか?
よくあるパターンが、切れ味で人気のニュースキャスターというヤツなのですが。
そういえば、このまえ厚労省の友人が、「サスティナビリティ(持続可能性)を確保するための改革なのに、あいつらは目先の負担増を言い立てて、正義の味方面をして人気者だ。未来に対する犯罪行為に等しい。」というような趣旨のことを言っていましたが、まぁ、そういうことです。切れ味が持ち味のコメンテーターという人たちが、真剣に考えて、未来のために発言する、動機がどこにありますか? 強者とみられるものに、毒を吐き、斬って捨てて、人気を集めれば、人気が出て、彼らの収入が増えますよね。チガウノカナ?
とかく、人間、メンドクサイことは嫌なものでして。そんなナマケモノっぷりが科学の発展を促したという向きもありますが、、、科学はともかく、人文系でそれをやると、ダーウィニズムが社会ダーウィニズムとなり、ホロコーストまで逝き付いた情景を彷彿(ほうふつ)とさせます。
そんなわけで、せめて、皆さん、自分の目を見開いて、しっかりと判断をしてくださいね。