水曜日, 11月 23, 2005

ナマケモノの罪-レッテルを貼るという行為

今週のDEATH NOTE。
私は結構、活字は何でも読むほうで、漫画雑誌もそのぶんに洩れないのですが、週刊ジャンプ連載のDEATH NOTE、ついにキましたね。「無為の罪」。それをなすべきものが、それをなさないのは罪である。私の精神的な基調と親近感のある考え方です。まぁ、魅上さんのように殺してしまうのはやりすぎだとは思いますけれど。
さて、ちょっと、2万kmばかり先には、食べ物が無い人がいます。我々の倉庫には、古米が眠っていますし、稲作のノウハウも、資金もあります。2千kmのところには、選挙権がなく、自らの意思を皆のために使うすべを持たない人がいます。ちなみに投票率は、郵政解散以前は6割程度。
まぁ、この話はやめましょう。もっと楽しんで貢献できる道を探すのがよさそうです。アレしろ!コレやれ!ではやる気もなくなりますもんね。

ともあれ、そんな、無為の罪ですが、そんな中でも、割とみんながやっていて、なおかつ、結構、影響が大きいのが、「レッテル貼り」という思考です。
ムツカシイことを自分で判断するのは大変なので、声の大きい人が「こうだ!!」と喚くと、「そうかもしれない、、、いや。そうだ!」……な~んて、思ったことはありませんか?
よくあるパターンが、切れ味で人気のニュースキャスターというヤツなのですが。
そういえば、このまえ厚労省の友人が、「サスティナビリティ(持続可能性)を確保するための改革なのに、あいつらは目先の負担増を言い立てて、正義の味方面をして人気者だ。未来に対する犯罪行為に等しい。」というような趣旨のことを言っていましたが、まぁ、そういうことです。切れ味が持ち味のコメンテーターという人たちが、真剣に考えて、未来のために発言する、動機がどこにありますか? 強者とみられるものに、毒を吐き、斬って捨てて、人気を集めれば、人気が出て、彼らの収入が増えますよね。チガウノカナ?

とかく、人間、メンドクサイことは嫌なものでして。そんなナマケモノっぷりが科学の発展を促したという向きもありますが、、、科学はともかく、人文系でそれをやると、ダーウィニズムが社会ダーウィニズムとなり、ホロコーストまで逝き付いた情景を彷彿(ほうふつ)とさせます。

そんなわけで、せめて、皆さん、自分の目を見開いて、しっかりと判断をしてくださいね。

日曜日, 11月 20, 2005

大きな楡の木の下は?-そのひとの価値を評価する

どこにあるのだろう?、と思う。
MilchStraβe軒しのぶのPloeStarSⅠ収録。「大きな楡の木の下で」の楡の木。

「民主主義の【英雄】である彼の夫人のことよ。その人は高官の娘で彼の副官を務めていたの。ところがお父さんが政府に対してクーデターを起こして、鎮圧されて、結局、反逆者の娘、ということになってしまったのよ。」
「それでもね、彼は彼女を解任しなかった。後にそのこと糾弾されたとき、彼はこういったそうよ。『それでは、わが自由の国では、古代の専制国家みたいに、親の罪が子におよぶというわけですか。』」
「その話でわたしは、彼と、彼のいう自由の国のことが知りたくなったの。」

きょう、高校の親友の結婚の報告を聞いた。
その友人は、私と同じく、家族に障害者がいる友人で、「結婚に際して、家族に障害者がいるということを考えなかったか」という話になった。
奇しくも、その場にいた4人中、3人が障害者の家族をもっていたのだけれど。
こたえは、それぞれ、違っていて、その1人のほうが、楽天的に考えていたようなのだけれど。
……こういう場合、むしろ、事実の重さを負っていない人のほうが、未来を切り開けるのかもしれない。と思った。話。
でも、女性問題もそうだけど、そういう、「忌避することに根拠がないわけではない話」というのは、ムズカシイ。確かに、出産と育児という、巨大な事業に取り組むことになった女性が、それまで労使ともに築いてきた能力を、一方的に破談にするという側面があるのは事実だし。また、私に、リウマチの因子と消化器癌の高リスク因子があるのも、事実。でも、リスクにばかり目を向けて、リターンとの見合いで意思決定は必要だよね!! そして、かつ、市民なら、合成の誤謬(ごびゅう)にも目を向けて欲しい。

もうひとつ、思ったことがあったのは、10月に沖縄に行ったとき、投宿先のテレビで聞いた、健保組合横領犯の家族の「もう街も歩けない」というコメント。

まだまだ、日本は、「自由の国」ではないんだなぁ。と。市民社会は遠いなぁ。と。
そう思った日。

「彼は思っている。人の価値なんてものは、その人間がやった行動で決まるものだ。彼女は彼が知る限り、人として品位を知らない行動を取った事は一度もないし、むしろ、百万回感謝してもし足りないような見事な振る舞いばかりしてくれた。」  --見たことのない自分の顔 後編。 杉浦明日美「空飛ぶ岩石の創作畑」

Mickey Mouse保護法案

はじめまして。道樹ことMickeyです。もちろん名前は当て字ですが。

ミツキ。という語感で漢字変換をしてみると、意外といろいろ当てられて、
御調。なんていうのも、Vivaldiセンセイの「調和の霊感」
(協奏曲第10番ロ短調作品3の10) を彷彿(ほうふつ)と
させてくれてとてもいいなぁと思ったのですが、
あなたの往く道に、標(しるべ)として立つ樹になれたらいいな
と思って道樹としました。

、と、書いてみたところで、ちょっと皮肉な事実に
気がついちゃいました。というのも、
このL'estro Armonico 解説には
「ヴィヴァルディの出世作。バッハをはじめ多くの作曲家に編曲された。
(他の作曲家に編曲されることは、当時では名誉なことだった。)」←ココ重要!
とあり、当サイトの「著作権存続期間延長法案」とは
真っ向から対立しちゃうんですね。

でも、偉大な先達(先達)に敬意を表して、自らの作品に取り込む
ということの歴史は古くて、 実は漢詩の世界なんかでも「典故(てんこ)」
という概念があったりします。
「著作権!」なんて考え方は、むしろ最近勃興(ぼっこう)してきたものなんですね。
……独占企業群の誕生とともに。とは言いませんが。(ニヤリ)

この議論、他の誰かの考えと交わるともっと面白くなるかもしれません。
というあたりで今日はひとまず小休止。

これから、どうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに、調和の霊感の宣伝をちょこっと。
http://www.universal-music.co.jp/classics/release/dgnsb101/uccg7096.htm
たーん、た、たーらったった、たらったった、たらったった、
たーたらたった、たーたらたった、たーらんたーたらたったったった♪